柳生新陰流とは

     

<柳生新陰流兵法とは>

「新陰流兵法」は室町時代末期、流祖上泉伊勢守藤原秀綱(のち信綱)により創始されました。流祖に師事した柳生石舟斎宗厳(むねとし)は「無刀の位」を開悟して第二世を継承し剣の柳生の礎を築きました。その嫡孫である兵庫助利厳は、祖父石舟斎の薫陶を受け第三世を継承し、元和元年に初代尾張藩主徳川義直公の兵法師範となり尾張柳生家の始祖となりました。
 流祖以来、厳然と受け継がれた「新陰流兵法」の道統は、尾張藩主7公と尾張柳生家14人の当主によって正しく継承され、現在の第二十二世宗家柳生耕一厳信に至っています。
明治以降幾多の困難がありましたが、この尊い伝統の武道を護り永遠に伝えたいという第二十世柳生厳長の願いのもと、昭和30年に柳生会が設立され、現在、名古屋を中心に国内4カ所、海外2カ所の地域柳生会が宗家指導のもと活動しています。

●「新陰流兵法」と「柳生新陰流兵法」
 「新陰流兵法」の名称は歴史的にもいくつかの呼称が存在しておりますが、マスメディアへの露出が増えるなか「柳生新陰流兵法」の名が広く一般に認知されるに至り様々な誤認も生じてまいりました。
こうした状況を鑑み現在では、「新陰流兵法」は柳生家によって途切れること無く正統に継承されていることを明らかにすることと誤認回避のため「柳生新陰流兵法」の呼称を使用しております。日本古武道協会、日本古武道振興会へも「柳生新陰流兵法」として在籍し、「新陰流兵法」の正統として活動しております。
尾張の地に宗家と宗家補佐の高弟により代々伝えられてきました当流は、現在、柳生会会員へ宗家直伝の実技指導と口伝書の講義を行い、道統と伝統を護り伝えています。


柳生新陰流の歴史
柳生新陰流の特徴
柳生新陰流道統
柳生制剛流抜刀
柳生新陰流の文献
柳生新陰流所縁の地